2025年7月「大災害デマ」が映し出す日本の病巣

どうも、上永です。

いやはや、2025年7月5日。とんでもない一日でしたね。ええ、ご存知の通り、「日本で大災害が起こる」という、まるでSF映画のようなデマがネットを駆け巡り、それにつられて一部の人間がパニックを起こし、果ては海外の航空便にまで影響が出る始末。結果的に何事もなかったわけですが、この騒動が示唆するものは、あまりにも重苦しい。

まずもって、この手の「予言」が、いとも簡単に信じられてしまう現代社会の脆さですよ。漫画家の夢日記が発端だとか、過去に「予知した」とされる実績があるだとか、そういう眉唾な情報が、あたかも真実であるかのように拡散されていく。そして、それを鵜呑みにする人間が少なからず存在する。これは、個人の情報リテラシーの問題と片付けるには、あまりにも根が深い。

考えてみてください。現代社会は、情報過多の時代です。SNSを開けば、真偽入り乱れた情報が怒涛のように押し寄せてくる。その中から、何が正しくて、何が誤りなのかを見極める能力が、いまほど求められている時代はない。しかし、多くの人々は、その「見極める」という手間を惜しむ。あるいは、その能力そのものが、教育の中で十分に培われてこなかった。結果として、センセーショナルなデマに飛びつき、根拠のない不安を煽り、自ら混乱の渦に身を投じてしまう。

今回の「大災害デマ」で最も顕著だったのは、その情報が経済活動にまで影響を及ぼした点でしょう。香港からの航空便に影響を及ぼし、経済損失まで出ている。たかが「デマ」と一笑に付すには、あまりにも大きな代償を支払わされている。これは、個々人の情報リテラシーの低さが、国家規模の経済損失に直結するという、恐るべき現実を突きつけたわけです。

そして、このデマ騒動の背後には、現代社会の抱える「不安」があるように思えてなりません。経済の停滞、社会の閉塞感、未来への不透明感。そうした漠然とした不安が、人々を非科学的なもの、非合理的なものへと向かわせる。まるで、出口の見えないトンネルの中で、かすかな光にすがるように、曖昧な「予言」に希望や安心を見出そうとする。それは、ある意味で、現代人が抱える精神的な飢えの表れなのかもしれません。

しかし、そうした「飢え」を満たすべきは、安易な予言やデマであってはならない。我々が本当に向き合うべきは、目の前にある現実であり、その現実をより良くしていくための具体的な行動であるはずです。情報過多の時代において、何が真実で、何が虚偽なのかを見極める冷静な目。そして、安易な扇動に流されることなく、自らの頭で考え、行動する主体性。それが、今、私たちに最も求められている資質ではないでしょうか。

今回の騒動は、私たちに改めて問いかけています。

あなたは、目の前の情報を、無批判に受け入れているだけではないか? 根拠のない不安に、ただ怯えているだけではないか?

私たちは、虚構の「災害」に怯えるのではなく、目の前の「現実」を変えるために、何をすべきか。その問いに、真剣に向き合う時が来ている。参院選の最中だからこそ、そのことを強く問いかけたいと思います。