なぜ「VUCAの時代」とか言い出すヤツは、全員もれなく胡散臭いのか。

いい加減、うんざりしないだろうか。

会議室で、Zoomの画面の向こうで、あるいは意識高い系が集まるイベントで、したり顔のおじさん(たまにお姉さん)が口を開けば「いやー、まさにVUCAの時代ですからね」などと宣う、あの光景に。

VUCA。 変動性(Volatility)、不確実性(Uncertainty)、複雑性(Complexity)、曖昧性(Ambiguity)。ご丁寧にも頭文字まで取って、さも高尚な分析フレームワークであるかのように語られる、この言葉。

だが、我々の肌感覚はもっと正直だ。この言葉が発せられた瞬間、その場の空気は白々しくなり、語っている当人からは、得も言われぬ「胡散臭さ」が立ち上ってくる。なぜなのか。今日はその正体を、徹底的に暴き立ててやろうと思う。

結論から先に言おう。 彼らが「VUCA」という言葉を愛してやまない理由は、それが「自分たちの無能さと怠惰を覆い隠し、他人の不安を飯のタネにするための、最高に都合のいい魔法の呪文」だからに他ならない。

① 「思考停止」という名の安楽椅子

まず、彼らにとってVUCAは、思考停止するための完璧な言い訳(エクスキューズ)なのだ。

「VUCAの時代だから、計画なんて無意味だ」
「VUCAのせいで、業績が予測できない」

お分かりだろうか。これは要するに、「俺はもう考えたくない」「俺の無能の責任を時代に押し付けたい」という、盛大な白旗宣言なのである。本来、事業や社会が抱える問題というのは、その構造を分解し、要素を分析し、泥臭く仮説と検証を繰り返すことでしか前に進まない。極めて面倒で、知的な体力を要求される作業だ。

だが、「VUCA」という一言があれば、その全てをすっ飛ばせる。だって、時代が悪いのだから。予測不能なのだから。考えるだけ無駄なのだから。これほど楽な商売はない。彼らはVUCAという安楽椅子にふんぞり返り、分析も努力も放棄して、「いやー、大変な時代になったもんだ」と嘆いてみせるだけで給料がもらえる。実に結構なご身分ではないか。

② 君の「不安」は、彼らの「蜜」である

次に、VUCAは不安を煽って金儲けをするための、最強のセールストークとして機能する。

考えてもみてほしい。「このままでは、VUCAの波に飲み込まれる!」と大声で叫ぶ人間が、その次に何を口にするか。「そこで、この私が提唱する『新時代の必須スキル』が…」「今こそ求められる『VUCAを乗り越える組織変革』セミナーが…」と、相場は決まっている。

君たちの抱える漠然とした将来への不安は、彼らにとっては最高の蜜なのだ。不安を煽れば煽るほど、彼らのコンサル契約料は上がり、情報商材は売れていく。そして、そこで提供される「解決策」とやらの正体は何か? 結局は「マインドセットを変えよう」「対話を増やそう」「とにかく挑戦だ」といった、中身が空っぽのポエムか、横文字を並べ立てただけのパワポ芸である。

具体的な打ち手は、何一つない。なぜなら、具体的なことを言えば、検証されてボロが出てしまうからだ。「VUCA」という曖昧な言葉で煙に巻き、曖昧な精神論を売りつける。これこそが、彼らのビジネスモデルの核心なのである。

③ そもそも「今さら感」が半端ない

そして何より滑稽なのは、彼らが「歴史」というものを全く知らないことだ。

「予測不能で複雑な時代」だと? 寝言は寝て言え、と言いたい。では、ペストが欧州を蹂躙した時代は? 大航海時代は? 日本で言えば、応仁の乱から戦国時代にかけての100年間は、いったいどんな「確実な時代」だったというのか。昨日まで隣人だった人間が、明日は敵として殺しに来るかもしれない。そんな時代に比べれば、現代の「不確実性」など、単なる甘えにすぎない。

彼らは、自分たちが生きるこの時代だけが、人類史上で最も困難な「特別の時代」だと思い込んでいる。その視野の狭さ、歴史認識の浅さたるや、もはや哀れみを誘うレベルだ。いつの時代も、世界は常にクソみたいに不確実で、複雑で、理不尽だった。それを乗り越えるために、人間は知恵を絞り、必死に戦ってきたのだ。

その人類の営みに対する敬意もなく、「今、VUCAがー」などと語ること自体が、傲慢の極みなのである。

結局のところ、VUCAという言葉そのものに罪はない。ただの概念だ。 問題は、それをありがたがって口にする側の人間たちの、その知性のあり方、その誠実さの欠如にある。

だから、もし君の目の前で誰かが「VUCAの時代が…」と語り始めたら、心の中で(あるいは実際に)こう問い返してやればいい。

「で、具体的に、あなたは何を分析して、明日から何をするんですか?」

この一言で、大抵のVUCAおじさんは黙り込むはずだ。 さあ、君はまだ、そんな空虚な戯言に付き合うつもりかい?