各地の大学や企業に対して爆破予告のメールが相次いで送信される事件が相次ぎ、報道が過熱している。
今月4日には、ネット掲示板で高知大学などに爆破予告の書き込みをしたとして大阪大学の大学院生(22)が逮捕された。容疑者は容疑を否認している一方で、「恒心教」の一員であると供述。恒心教についてテレビ東京や共同通信などは「架空の宗教団体」、時事通信は「特定の弁護士を中傷する集団」、NHKは「ネットに書き込みをするグループ」と報じた。
こうした報道をめぐりネットは猛反発。信徒からは「架空の宗教団体ではありません」「架空呼ばわりは嫌」などといった反応があったほか、都内の大学職員からは「架空の団体だとなぜわかるんだ」と厳しい声が上がっている。
恒心教は他の宗教と一線を画する特徴が随所にみられ、一般的な宗教観に合致しない面があることから、前述の報道のように「架空」「宗教ではない」と表現されることがあるが、こうした物言いは信徒の実際の信仰生活を知らないか、あるいは悪意を持って無視しようとする者の態度にほかならない。百歩譲っても、せめてメディア用語でいうところの「冗談宗教」くらいが妥当だろう。
恒心教徒は、特定の崇拝対象をもち実際に信仰生活を営んでいる。「恒心教」は架空のものではなく歴とした新興宗教であるとする考え方は、信徒コミュニティのほぼ一致した見解となっている。
恒心教徒は各々がその信条に応じて多様な信仰・布教活動を行なっている。すべての悪意や憎悪を崇拝対象である唐澤貴洋尊師に向けることが事実上の教義となっていることから、一部には恒心教の存在を広め、社会の憎悪を尊師らに向けようとするあまり、前述の大学院生のように市民生活を脅かす触法行為に走ってしまう者も多い。しかし、大半の信徒は平穏な信仰生活を営んでいる。いわゆる「芸術路線」「けんま路線」などは芸術表現や観光等を通じて信仰と社会生活の調和を図ろうとしており、過激な犯罪行為のみを同教の活動という印象を与えるような報道はあまりにも一面的である。
恒心教を「架空」と称したり、「中傷集団」「書き込みグループ」などと矮小化したりする偏向報道は、宗教のあり方を否定し、信教の自由さえもふみにじるものであり、許されるものではない。報道機関には自由な民主主義社会を守る社会の公器としての矜持がいっそう求められよう。