れいわ新選組に所属する大西つねきのYouTube動画を見た。
大西は動画で、国の医療・介護費、そして「若者たちの時間の使い方」の観点から、高齢者よりも若者を優先する「命の選別」をしなければならないと訴えた。
この発言は同党支持者のみならず幅広い層からの猛烈な批判を浴び、同党は「れいわ新選組の立党の精神と反するもので看過することはできない」とする声明を発表、同氏も発言を撤回した。
しかし、私は同氏の発言に良い意味で強い衝撃を受けた。財政の問題のみならず、「若者たちの時間の使い方」の観点から高齢者福祉の問題に切り込んだ発言を聞いたのは初めてだったからだ。
若者に生かされている高齢者
現代を生きる少なくない高齢者は若者によって生かされている。年金をはじめとした社会保障の財源は現役世代の血税であり、人数比では一人の高齢者を2.2人の現役世代が支えている計算になる。
現役時代に十分な資産を築き、自助努力で老後を過ごしている高齢者もいるであろうが、たとえどんな富裕層であれ、医療サービスを受け、介護され、やがて臨終を迎える。そのケアをするのは紛れもなく現役世代の若者なのだ。
医療・介護現場の悲惨な境遇がようやく広く知れ渡るようになってきた。低賃金・長時間かつ過酷な労働に苦しみ、追い詰められているのは若手の医療人である。そうしたエッセンシャルワーカーらを量・中身ともに苦しめ続けている人々の多数が高齢者である。
若者優遇は「命の選別」ではない
ある研究では、税や保険料などの生涯負担と行政サービスなどの生涯受益の差額を計算すると、90歳代では2604万円分受益が上回る一方、将来世代の場合は7540万円分負担が上回るという。すなわち、孫は祖父母より1億円もの損をする計算になる。このあまりにも大きな世代間格差は「財政的幼児虐待」とよばれることさえある。
この不均衡を打開するには、若者を政策上優遇するほかない。しかし、国の財政は社会保障費の増大に押され続けるばかりだ。その多くは高齢者福祉に用いられる。政治家に求められるのは、「虐待」とまでよばれる大きな格差を削減するための決断に他ならない。私ははじめて、この立場を明言した政治家を目撃することができた。
もちろん、高齢者が経験してきた苦難の大きさは無視することができない。戦乱の世を生き抜き、格差・差別や人権侵害の横行するなかで高度経済成長を牽引してきたかれらの苦労は想像を絶する。とはいえ、社会は常に進歩するものである。100年後の日本人から見たわれわれの社会も、また同様に地獄のごとくかれらの目には映るはずだ。前の世代が新世代よりも苦労するのは歴史の必然である。
高齢者と若年層を政策的に区別をすることは「命の選別」ではない。すでに80年、90年生きてきた者の余命10年と、まだ20年、30年しか生きていない者の未来の10年は、重みが全く異なるではないか。「命の重み」が常に平等であるとする考え方は、個々人の生きてきた時間の差を軽視する暴論というほかない。
有限な国家予算のなかで、その配分を決定することは政治の役割、そして立法府の最大の責務である。
国家予算を「トリアージ」せよ
医療界には「トリアージ」という言葉がある。災害時などの逼迫する医療現場において、患者の重傷度や緊急性に応じて患者を区別することをこういう。トリアージでは、治療を後回しにしても命に別状のない患者には「緑」のタグ、まだ生きていても救命の困難な患者には、死者と同じ「黒」のタグが付けられる。
財政の現場でも、まさに「トリアージ 」が求められる。
国の予算は無限ではないどころか、災害といっていいほどの逼迫した状態にある。「すべての命を大切に」というスローガンは立派だが、現下の高齢者への過度な優遇と若年層軽視政策は狂っているというほかない。
このような現状を招いた要因の一つに、少子高齢化により有権者の中心がが高齢者にシフトする「シルバー・デモクラシー」がある。人数も少なく政治への関心も低い若者よりも、人数も関心度も圧倒的な中高年層を重視した政策の方が選挙では有利となる構造が、高齢者優遇の財政を招いた。
しかし、だからこそ、政治家には若者の声に耳を傾ける姿勢が不可欠だ。
過日行われた東京都知事選挙では、れいわ新選組代表の山本太郎が惨敗した。山本は若年層からの支持を得るにはいたらず、票の多くが現職の小池百合子と、若者政策の拡充を訴えた宇都宮健児に流れた。そんな山本に、大西を非難する資格はない。
改めて繰り返すが、若者を高齢者よりも優遇することは、決して「命の選別」にはならない。相対的に、どちらの命−−あえて「余命」と呼びたい−−が重みを持つのかは、あまりにも明確である。
シルバーデモクラシーの支配する日本政治において、大西のような発言は受け入れられ難いだろう。しかし、高齢者票に抵抗することによってしか、現在の格差と財政難は脱却できない。大西をはじめとした心ある政界人には、抵抗を続けていただきたい。