平成生まれが元少年Aのネット上での活動について考えてみた

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元少年Aとネット世代に生きる私たち

2015年6月に神戸連続児童殺傷事件の犯人である元少年Aによって書かれた『絶歌』が出版されました。
平成生まれの私たちの中には、事件がリアルタイムで報道されるのを覚えている者は少ないです。事件当時、まだ生まれていない者さえいます。

ですが『絶歌』が出版されたことがきっかけでネット上でも元少年Aは大きな話題となり、事件について、それから元少年Aという人物について興味を持った平成生まれは多いでしょう。

今回、週刊文春で元少年Aの顔写真と住所について記事が掲載されるということで、ツイッターでも若者世代による関連ツイートが投稿されました。それらの多くは元少年Aを批判する内容であったり、2016年に入ってから次々とセンセーショナルなスクープを連発する週刊文春をいじったものであったりしました。

 

この記事を書いているライターも、もれなく平成生まれです。現在の元少年Aよりはもちろん年下ですが、事件当時の彼の年齢は追い越してしまいました。自分なりに元少年Aという人物について分析してみようと思うと、「インターネット上での活動」が共通点として浮かび上がりました。

『絶歌』出版をきっかけにホームページを公開、有料メールマガジンの発行を実行しようとした元少年A。そこには自分をなんらかの形で表現したいという思いがあったことと考えられます。

半自虐的に「非リア(非リア充の略語)」を称して友達関係や恋愛関係に自信がないことをアピールしつつも、私たちはツイッターなどで日常的に自分の感情を他者にあらわしています。その行為の根底にあるものは自己顕示欲なのでしょうか。他者との関わりに特別自信があるわけではないけれども、だけど誰かとどこかで繋がっていたい。こんな思いを元少年Aも少なからず抱いているのでしょうか。

 

 

元少年Aと私たちのネット利用の仕方の違いは

元少年Aは、ネット上での活動拠点をツイッターやブログではなく個人ホームページとしています。テキストサイト全盛期を少し過ぎた頃にネットデビューした筆者としては、彼はなぜ現代のトレンドに遅れた少し古風なスタイルをとるのか疑問です。
個人ホームページのメリットとしては、他者との繋がりを強要されずに自分のペースで発信できることが挙げられるでしょうか。

私たちが慣れ親しんでいるツイッターで同世代の支持を集めるには、知名度と影響力が必要です。そのことを私たちは知っているので、例えばフォロ爆(フォロー爆撃のこと。フォロワーを盛るために捨てアカウントで大量にフォローさせる。)を打ってもらったり、片っ端から自分と似た雰囲気の二次元イラストアイコンをフォローし相互フォローの数を1万以上にしたり、プロフィールページに固定したツイートをRTして拡散してもらうよう呼びかけたりします。そうやって無名の状態から徐々に知名度と影響力を伸ばし、同時にネット上での仮想キャラクターとして自分を育てて表現して遊んでいます。

しかし元少年Aの場合は違うようです。スタートは無名の状態ではありません。自分が例の事件の犯人であることを明かし、匿名だけれどあらかじめバックグラウンドが他者と共有される状態ですので知名度は抜群です。影響力はプラスの意味だけではないかもしれませんが少なくとも大きな話題を集めるだけのネームバリューはあります。

元少年Aは匿名だけれど匿名ではないのです。

あえてそのポジションを選んだのはなぜでしょうか。完全匿名でネット上で活動をしたいのであれば、過去の生い立ちは明かさずに新たなキャラ設定をして振る舞えばいいのです。失敗したら転生だってできます(転生とは、アカウントやキャラ設定、所属するコミュニティなどを変えて新たに生まれ変わること)。

元少年Aは、元少年Aとしてネット活動をすることを選んだのです。それが罪を償うためかどうかは本人にしかわかりませんし、もし仮にそうだったとしても、結果を見ての通り世間は受け入れません。

 

 

匿名とリアル

矯正教育を経て社会復帰した元少年Aですが、施設で過ごしている間はネットと関わる経験はほとんどなかったのではないでしょうか。今や若者が当たり前のように触れる世界を突然目にするのです。
『絶歌』を出版させるくらいですから、自分の思いを表現したいという感情は人一倍あったのではないでしょうか。社会に戻り、ネットの世界を目の当たりにした彼は、自分の舞台をそこにしたのです。そして、今回のように週刊文集に取材をねばられ、匿名と実名のはざまで苦しむことになります。

 

果たしてネットリテラシー教育が本当に役に立つのかは謎ですが、私たちは案外器用にリアルとネットを使い分けて生きています。
事件は悲惨なものでしたが、元少年Aの表現の場を奪う権利はないはずです。ネットの利用を視野に入れた社会復帰のあり方がもう少しだけ検討されていれば、何かが違ったのではないかと思います。

–文:楠田このみ




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