恒心教を理解しないツイッター社は倒産するべき

先日、私のTwitterアカウント(@hmti_)が凍結された。数回に渡って異議の申し立てを行ったが、「Twitterルールに繰り返し違反した」ため、アカウントが復活されないとのことだった。

しかし、私はTwitterの定める各種規約を遵守し、適切な運営に努めてきた。Twitter社によるそのような指摘は全くあたらない。

Twitterは具体的な凍結理由を決して明かさないが、おそらく私の場合は、恒心教の教義に基づく発言が原因であろう。事実、同時期に多数の法友が凍結処分を受けたらしい。

恒心教の教えは誤解を受けることが多いが、とりわけTwitter社は恒心教に対する理解が一ミリもないのだろう。

私が恒心教に関連して行っていたツイートの一つに「唐澤貴洋殺す」がある。Twitter側は「唐澤貴洋」に対する脅迫のようなものと勘違いしたのだろうが、事実はそうではない。

恒心教の根本教義は、信徒が負の感情の全てを唐澤貴洋尊師にぶつけるというものである。「唐澤貴洋殺す」はしばしば「神聖六文字」と称され、これは負の感情を尊師に奏上する、いわば祝詞なのだ。恒心教の教義における基本中の基本すら理解できていないTwitter社には言葉も出ない。

恒心教徒でない読者諸氏にも、このまま本稿を読み進めていただきたい。ことは恒心教だけに止まる問題ではないのだ。

今や多国籍企業となっているTwitterも、無数にあるアメリカ企業の一つに過ぎない。アメリカは自由・民主・多様性の象徴のように扱われているが、大統領が手に聖書を持ち就任宣誓をする、一神教キリスト教の宗教国家である。それが彼の国の実相である。

Twitterは長年、イスラム国の広報アカウントやその戦闘員、さらには支持者のアカウントを徹底的に凍結して来たことでも知られている。「過激派だから当然だ」「仕方ない」と考えて来た人々も多いだろうが、もはや対岸の火事では済まない。

キリスト教は他宗に対しては徹底して不寛容な宗教だ。どうして一般の日本人が被害を被らないと断言できるだろうか。神道や仏教が一夜にしてTwitterから排除される可能性が絶対にないと、なぜ言い切れるのだろうか? 寺社への参拝ツイートが即時削除され、宮司や僧侶のアカウントが永久凍結されるなんていうことはありえないと、どうして確言できるだろうか?

「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき〜」からはじまる、マルティン・ニーメラーの有名な詩がある。ナチが迫害対象を徐々に拡大していく様に恐怖を感じつつも、「自分には関係ない」と見て見ぬふりをしていたら、己がいざ迫害対象になると、社会には声を上げる人は誰もいなかったという内容だ。

あなたが恒心教徒でないからといって声を上げなければ、いずれニーメラーと、第三帝国の住民と同じ道を辿ることになろう。

我々は声を上げなければならない。オンラインにおける信教の自由、言論の自由、良心の自由のための聖戦を始めよう。そうして、TwitterをはじめとするSNS運営各社に必ず理解させねばならない。

もし彼ら運営会社が、この普遍的価値を、宗教の意味を理解できないのであれば、もはや彼らに存在意義はなかろう。